前回の話の流れでいってみたいと思います
らーめん屋のおっちゃんにごちそうさまっていうのは感謝の気持ちです
Amazonのシステム運用の皆様に、日々おつかれさまと思うのも感謝です
この感謝は果たして何にむけているのかという話です
何がは誰にでもいいです
私、Christianなんです
キリスト教の教えでは、らーめん屋のおっちゃんでも、システム運用者でもなく
神様ありがとうございますなわけ。
これはむずかしいぜ
日々、ご飯が食べれることに感謝
健康であることに感謝とかね
それを感謝してることに間違いはないんだけどさ
おそらく大半の人というのはらーめん屋のおっちゃんとシステム運用者に感謝するよね
ご飯が食べれるのは自分が稼いでいるから
健康であるのは自分が気をつけているから
これが自分の場合だとどうなんだろうって
ホントは迷うところではないんだろうけど、かなり悩みます
ようは正直神様ありがとうとは思いがたいということです
確実に失格だね。。
これは意見を聞いてみたいところがあるので、
思うことがある人はもしよかったらメールください
唯物論と唯心論か観念論?ということになりそうなとこなんですが、
どっちかというと前者なとこが昔からあります
人の気持ち以外は世の中全て0か1の構成だと思ってます
超能力とか超常現象の類いは信じません
このモニターに映る"123"という数字も"あいう"というカナも0と1で構成されます
赤も青もそうです、6桁の数字で表されます
目に見える全ては、在ると思ってるのではなく確かに在るものです
在ると思うことでそこに在るとは考えにくい
唯心論をだいぶ否定している感じしますが、
キリスト教の教えを全否定するわけではありません
その教えがあったからこそ、
よかったと思えることや素晴らしいと思うことはたくさんありました
死んだら神様のとこにいくってのは信じられないけどね
誰もそれを見たことないでしょ?
それを思うことで救われるとかって宗教的だけど、
それこそ唯心論じゃん
別に思っても考えても救われねえよ
在るもの変えてかないと変わんないでしょ
ここまで書きましたが、果たして何に感謝してるんだろうね
先日、友人と話した際に年を重ねるごとに頑固になるねって
読み返すとかなーり頑固な文章だなと。笑
もっと柔軟な考えでいいんじゃないって思うよね
最近シンプルに物事考えられないなーって思う
それは良くも悪くもだよね
よく考えることも大事だし、シンプルに考えることも大事だよね
故に論点がずれていくことも多い
これはよくないことだ



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